1983-09-22 第100回国会 参議院 予算委員会 第2号
○政府委員(前田宏君) いわゆるロッキード事件の公判で証拠として取り調べられましたコーチャン氏に対するいわゆる嘱託尋問調書には、御指摘のような日時にコーチャン氏が、全日空に売り込みをしようというふうに努力しておりましたL一〇一一機につきまして一つの情報を得たので、大変当惑をして、そのことについて何とかならないかというようなことで児玉譽士夫氏に助力を要請した、そうすると児玉氏が中曽根現総理と思われる方
○政府委員(前田宏君) いわゆるロッキード事件の公判で証拠として取り調べられましたコーチャン氏に対するいわゆる嘱託尋問調書には、御指摘のような日時にコーチャン氏が、全日空に売り込みをしようというふうに努力しておりましたL一〇一一機につきまして一つの情報を得たので、大変当惑をして、そのことについて何とかならないかというようなことで児玉譽士夫氏に助力を要請した、そうすると児玉氏が中曽根現総理と思われる方
○佐藤昭夫君 われわれの調査では、この鉱業権は児玉譽士夫が持っていたという調査であります。それを一億円ほどで買い取ったというふうに聞いておるわけでありますが、その点の事実は確認をしていますか。
また、わが党が追及した児玉譽士夫の電話問題という、中曽根総理自身にかかわる重大疑惑が一切未解明のまま残されていることも、この際強く指摘するものであります。
中曽根総理は、もし児玉譽士夫や大刀川が実際はおれは中曽根さんにあのとき電話したんだと言えば、田中角榮氏が十月六日の朝、実は中曽根君はおれにこの点はどうなっているかと聞いたんだ、こう言えば、あなたはたちどころにうそつきである、こういうことになるのですよ。だから、言ってみれば、あなたは右翼と田中角榮氏に最も弱い点を握られている人物であると言わなければなりません。
つまり、四十七年の十月五日にコーチャンは朝、福田太郎から、私がいま言いましたような、全日空に対してロッキードは売り込めなくて、逆にこれをダグラスに取られるということを聞き、びっくり仰天して夜八時ごろ、児玉譽士夫のところへ駆けつけるわけであります。
それから、いま吉武さんを官房長官は非常に尊敬していらっしゃるということでありますが、きょうの新聞に、吉武パチスロ協組理事長、児玉譽士夫氏とまことに親密、こういう記事が出ております。これは吉武さんの会社の筆頭株主が児玉譽士夫さんなんです。児玉譽士夫さんのビルに同居しておる。こういういろいろな動きがありまして、疑惑は疑惑を呼んでおる。
まず、たとえて言えば、あなたは児玉譽士夫氏とはもう年に一回か何日かしか会っていないというのだが、そういうような回答をしておいでになるけれども、われわれの調査によれば、昭和四十五年、四十六年には週に一回は必ず、しかもそれが木曜日、日にちを決めて児玉邸に参上せられていたという、そういうことも上がってきておりまするし、数え上げればいとまがない。
そして、児玉譽士夫に、こうなる。そして、亡くなった福田太郎さん、大刀川秘書、児玉被告、そういう人たちが全部で確認しているのが事実として認定されているんです。 ところが、あなたはやはり電話はなかったと言う。これは採用された証拠と違うんですね。そして、この午前中の件については、今度は小佐野判決の中では事実と認められているんですよ。
大刀川は、東郷の脱税事件について児玉譽士夫が頼んだ弁護士を断ったということが一つ。それから、あなたのことについてマスコミや何かにいろいろ書かれたからあなたのところへまず謝りに行け、なかなか会えないから手紙を出せということで手紙を出している。もう一人は証券会社の人、この人に対して謝りに行っている。大刀川に言われて東郷はあなたのところに謝りに行った。
「千代新」というところで、これは東郷君が自分の会社を防衛したい、何かそういうことで例の児玉譽士夫氏の下部の連中と会っておった。それで困ったような顔をしておったときに、児玉氏に会いたいというような様子でありましたから、紹介してあげてもいいよ、そういうことで紹介をして、会ったのが「中川」であったと思います。
最初「千代新」という話は例の児玉譽士夫のときの話ですね。あなたが上座に座わったとかどっちに座わったとかという話でしょう。いまの最後の方になってくると、何か「中川」で会われたような話をされたのじゃないでしょうか。それは違いませんか。いま言い間違ったのですか。
さらに、刑事被告人の児玉譽士夫、四千二百万円、五十二万人の中にはこういう高額所得者で七十歳以上の人、たとえばいまの例でいけば鈴木総理、児玉譽士夫、こういうような人たちも当然含まれるわけですね。
ロッキード問題の質問の最後に、ロッキード関連裁判というのは小佐野ルート、児玉ルート、丸紅、全日空ルートということで、児玉譽士夫に対する判決がちょっと延ばされている。残されたのは丸紅ルートということなわけですが、この丸紅ルートの田中元総理に対する裁判の進行状況でございますが、いまどんなような状況なのか。現状についてちょっと御報告をいただきたいと思います。
うち約二十四億円余りは児玉譽士夫に贈られました。それから先は、彼が病気になったために、十分解明されておりません。五億円、これは田中角榮元総理に賄賂として贈られたことが裁判でいま明らかにされつつあります。
次に、競馬の公正確保の問題なんですが、あのロッキードで揺れていた五十一年にも、参議院で児玉譽士夫と競馬関係の問題が取り上げられて、その審議の中で暴力団との関係も指摘されました。ところが、最近、薬物問題で、先日も大井と船橋、両競馬場で薬物不正の事件で暴力団の幹部が逮捕されたということが報道されております。
何ぼ過去に経緯があっても——つまり、このときはたまたま児玉譽士夫の問題が出まして、そのルートからも十分把握できた問題をこういうあいまいな形で、しかも一番トップでしょう。馬主協会連合会の会長という一番トップのところにおられる方がこういう絡みを持っていたというのでは話にならないというふうに思うわけです。ギャンブルの世界というのは必ずこういう問題がつきまとって、暴力団は食い物にしていくと思います。
しかも、この芳邑という会社の役員に児玉譽士夫も名を連ねているわけですね。だから、警察庁も児玉譽士夫と競馬の関係について相当調査もされておられるわけですし、問題の小川乕三さんがそのときこういう会社に一緒に名を連ねていたということを競馬保安協会が知らなかったとは言えないんじゃないか。知っていて過去からのずっと経緯でそういうことはとても言えないということで押し黙っていたのかどうか。
そして、そういう考え方に基づいていろいろ問答があったけれども、ロ特の委員会では、児玉譽士夫の脱税問題については、私がいま申し上げたとおり答弁しているじゃありませんか。何でこれ答弁できないのですか。大体こんなものは秘密じゃないよ。秘密じゃない事項については、国政調査権が優先するというのは当然のことでしょう、これは犯罪行為なんだから。犯罪の構成要件的事実についてなぜ言えないの。
○正森委員 守秘義務、守秘義務と言っても、児玉譽士夫の脱税のときだって守秘義務で論戦をして、逮捕され起訴されている者についてはやはりここまでは言わなければいけませんと言って、私はあのときの航空機調査特別委員会で相当大きな声を上げて、磯邊長官はある程度言ったのです。それでも守秘義務ですか。それなら、守秘義務なら守秘義務でもいいよ。
田中角榮、小佐野賢治には各五億円、児玉譽士夫には十数億円の金が渡っておりますのに、一番の功労者のニクソンに金が渡らないはずはないんです。アメリカでは企業献金が禁止されて、個人献金にも制限があります。そこで、ラスベガスで裏金にしてニクソンヘの献金にする役割りを演じたのが浜田ばくち事件であると、私はこの推理は十分に成り立つことであると思うんです。
わが国の歴史と伝統を持つ宗教のメッカともいうべき真宗大谷派がいつまでもこういうことをやっておってはいかぬから、和解を望むのでありますが、しかし、その和解というのはあくまで、いままでございましたやれ児玉譽士夫だとか、やれ福田総理大臣のおいだとか、やれ右翼の暴力団だとか、あるいは今回は余り表へ出ておりませんけれども政治家だとかあるいは役所だとか、そういうもの抜きで、全部抜きで、法主側と内局側がさしでひとつ
そういう浜田と小佐野がきわめて重要な時点において終始行動をともにしておるということのほかに、私どもがこれは疑いなく認められる点は、浜田氏が児玉譽士夫氏の書生であったという事実であります。児玉のことを先生と呼んでいるというのはこれはまあ公知の事実であります。これは児玉と浜田との関係。
○神谷信之助君 児玉譽士夫に流れた金のうち、五億円分だけがドル建ての部分があります。なぜかそういうドル建ての金がまじっています。この五億円についてコーチャンは嘱託尋問調書で百六十六万六千六百六十七ドルの額の十四枚のドル小切手が、これは小佐野抱き込みのための児玉の請求にこたえる五億円であるという趣旨を述べています。
そういうことになりますと、この辺の事情は児玉譽士夫と小佐野賢治被告の間で話し合われておったのではないか、実はこういう強い疑いを持つわけですが、その辺ばいかがですか。そういう点について当然検察は非常に注目をしながら調べられたのではないかと思うのですが、いかがでしょう。
ただ御高承のとおり、児玉譽士夫につきましては所得税法違反による脱税犯として起訴されまして、公判廷におきまして罪となるべき事実として明らかにされた事実は課税事実そのものであるということで、当該起訴に係る脱税額などにつきましても御答弁申し上げたところでございます。
しかも、浜田氏は政界入りの動機が、稲川会の稲川角二会長を通じて知った児玉譽士夫に諭されたのがきっかけと、こういうふうに言われて、新聞にも各紙報ぜられております。こうして稲川会とはきわめて密接な関係を持っているというふうにされております。